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モーニングコートがフォーマルウェアに加わる

モーニングコートがフォーマルウェアに加わるのは、昭和天京即位の人礼式が挙行された1928年のことだ。日本の宮中では、勲一等勲章親授式、国賓のための宮中晩餐といった場でテイルコートが着用される。これに対して、「時間帯よりも行事の重さによって服装が規定されているのでは」と指摘する声もある。しかし、第一礼装はあくまでテイルコートである点を重視すべきだ。フロックコートは執務服であって、厳密な意味でのフォーマルウェアとは認められない。ましてやモーニングコートは新しく登場した服装であり、ドレスコードからすればフロックコートのさらにつぎに位置する。つまり、テイルコートは昼でも夜でも着ることができるが、モーニングコートとなると昼間はまあ認められるが夜間の着用はならないといった程度の服装だと考えるべきなのかもしれない。となると、内閣認証式におけるモーニングコートは、フォーマルウェアとしてのものなのか、それとも執務服のひとつとしてのものなのか、再検討してみる必要がありそうだ。執務服であるならば、シルクハットと手袋を携えていないのも、かろうじて理解の範疇に収まる。けれども、戦没者追悼式でモーニングを着用していることを考えると、やはりフォーマルウェアとしての性格を強く帯びているようにも思える。

おしゃれな人はいつもどこかで見られている

「ほら、ほら、あの人素敵よ」「どこ、どこ、あ、本当に素敵」と友人が教えてくれた人。黒に近い紺色のジャケットは短めで身体にそった形、どうも伸縮性のあるウールのようだ。スカートはオフホワイト、甘いベージュを帯びている。赤いタートルの衿が効かせ色だ。カチューシャでキリリと頭を小さくまとめてシンプルでスリム、フラットシュしスで歩き方が決まっている。おしゃれな人に出会うのは楽しい。滅多に会わないから(必死に探せば別でしょうが、ぼんやりしていると)、出会った人のことはいつまでも覚えている。先はどの友人は私以上に観察力があって、おしゃれな人を見つけると電話で話してくれる。「今日電車で会った人、久し振りにおしゃれな人だったわ。聞いてくれる?顔は美人というのではないのだけど、フェイ・ダナウェイに似た魅力的な人なの。紺のジャケットに茶のゆったりしたパンツ、靴はアンクルブーツだったわね。シャツも紺のシルクなのよ、紺と茶って意外に合うのねえ。バッグも上等そうなのよ。何ていうのかな、大人の女性、アメリカ映画に出てくるような人、滅多にいないわよ、あんな人」「私も見かけたかったわ。羨ましい」というふうに、まるで感動した映画に巡り合ったような話しぶりになってしまう。「近頃どう?何か買った?」の話に続いて、「最近、おしゃれな人を見かけた?」何という話題もなくて、それでも声を聞きたいとき、そんな会話がきっかけになったりする。見知らぬ誰かが私達の会話のテーマになっている。どこかで誰かに見られている。サスペンス映画のタイトルのように、少しミステリアスかもしれない。

明治初期の政府主導の洋装化

明治初期の政府主導の洋装化を、『服装の歴史3』(理論社、一九八四年)の村上信彦氏は次のようにまとめる。軍服から広がった明治の男の洋服は、政権の基礎を築いた戦争の勝利の記憶を織り込んで、むしろ急速に特権化した。その頂点は大元帥陛下の軍服であり、末は兵隊さんの誇りである。また一般生活のなかでは官員さんの身なりとなって権威をもつようになる。この軍国主義と官僚主義の二つにまたがって、洋服は新しい権威の象徴となった。しかし、それにもかかわらず、機能的な服だという本質は見失われないで、抵抗も弾圧もなく、まもなく一般的な洋服になっていく。軍服でも官吏の制服でもない「一般的な洋服」をまず取り入れたのが、上級官吏や知識階級、富裕階級であった。一八六〇年代から七〇年代といえば、当然、本場イギリス式にならえば昼はプロッタ・コート(または準ずるものとしてモーニング)、夜はテイル・コートである。